女の子が店の前に立っていた。帽子にリュック、歩きやすそうな靴と、装いから判断するに恐らく旅の途中だろう。この辺りじゃ見かけない顔なのは故に不思議ではない。だが、その少女はやけに虚ろな目をしていた。まるで夕闇をも飲み干してしまいそうな真っ暗な瞳だ。帰路につく人々が行き交う通りの賑やかさが少女の異質さを際立てた。表のカフェ看板をしまいに来たマスターは声を掛ける。
「すみませんが、今日はもう閉店なんです」
しばらく待っても少女の返事はない。どんな理由で来たお客も受け入れることがマスターの信条だが、これは困ってしまった。人の心は飴細工のように繊細だ。続ける言葉を慎重に選んでいると、店の中から視線を感じた。副店長ともいうべきマスターの相棒――マホイップが店の中からどうしたのだと様子を伺っている。このまま帰ってもらうのも気が引けて、少女を店内に案内した。
「お客さん、ウチでこのブレンドが飲めるって聞いて来たんでしょう?」
カフェ一押しの南国の逸品・グランブルマウンテンを前にしても、少女は反応を示さなかった。マスターのアテは外れたらしい。人がカフェに行く理由はコーヒーを飲むためだけじゃない。おしゃべりするため、作業をするため、読書のため。でも、彼女は目の前が真っ暗になって、理由もなく店先に立ち尽くしていたのだろうか?分からない。マスターは横にいるマホイップに肩をすくめてみせた。
すると、マホイップがぽてぽてと少女に近づいていく。テーブルの上に乗ると、マホイップはコーヒーカップを塞ぐように手をかざした。そんな顔をするなら飲むな、という制止だと少女は思ったことだろう。しかし直後、かざした手からクリームが生まれたのである。クリームはコーヒーに注がれていき、あっという間にカップの上にたっぷりのホイップクリームが乗った。目の前で追加された魔法のようなトッピングに、少女も流石に面食らっている。
「店員からのサービスで、ホイップクリームを追加させて頂きました。日によって風味が異なるので、確かめてみてください」
マスターがフォローし、マホイップもからだを揺らして催促して、後が引けなくなった少女はようやくカップに口をつける。
「……!」
少女の瞳に光が宿った。マホイップとマスターはぱっと顔を見合わせる。マホイップはマスターの行動をしっかり見ていた。飴細工を扱うように丁寧に接し、暗い顔でも、反応がなくても、この店に入れた方がいいと判断した。ならば今は、あたたかくて甘い癒しを与えるべきだ。マホイップがトッピングしたのは、全身を包み込むようなふわふわで甘いホイップクリーム。どんな理由で来た人も受け入れる場所でありたいというマスターの信条は、この小さな副店長にもしっかりと伝わっていた。
甘いクリームの後にはコーヒーの苦味がやってくる。きっと苦い経験をしたのだろうが、少女はそれを忘れずに留めておくように、苦味もしっかり味わっていた。きっと明日からまた彼女は頑張れるだろう。すっかり元気になった少女を見送ろうとして、マスターは「…あ」と小さく声をあげた。彼女のリュックからリーグカードと集めかけのバッジがチラリと見えたのだ。
「…お客さん、いや、トレーナーさん。カフェに来る理由はバトルでも良いんですよ。また明日、店員と一緒にお待ちしています」
翌朝、マスターが看板を出していると、中からマホイップが出てきて、きょろきょろ周りを見渡した。こう見えてバトル好きなのだ。少女はきっとやって来る。今度はちゃんと店名を言って迎え入れよう。今日のマホイップはそう甘くはないけれど。