木漏れ日の角度が朝とは呼びにくい時刻になったことを告げる頃、ムックルの兄弟がお喋りをはじめた。
“聞いた聞いた聞いた?あそこの木、ビッパがかじりすぎたんだって。そのうちドーンって倒れちゃうかもよ!”
“かもな。毎日かじりに来るもんな”
弟のムックルは一生懸命話しかけるが、兄は特に驚いた様子も見せない。弟はおもしろくなさそうにムクれて話題を変えた。
“聞いた聞いた聞いた?「じかん」ってね、操れるらしいよ!”
突然どうしてそんなことを言い出したのか、兄のムックルには分からなかった。気を引こうとして大げさな嘘をついたのだと思った。
“時を自由に操っちゃうヤツがいるんだって。昨日そいつがここに来て、この辺りの「じかん」だけ進めちゃったんだ!「くうかん」はそのままだから、みんな気づかなかったんだって。ねえ、聞いた聞いた聞いた?”
“そんなの、あり得ない”
平静を保ったまま答えたが、弟の嘘にしてはやけに説明的だった。時間とか空間とか、そんなことを言い出すのも珍しかった。朝露の最後の一滴が真珠のように輝いて、太陽に吸い込まれていく。兄のムックルには、いつもと変わらない202ばんどうろの風景に見えた。
“昨日この辺りの時間を進めた、だって?だったらビッパが木をかじりに来るのはいつもより早くなるはず。それに、あの木は「そのうち」じゃなくて今すぐ倒れるかもしれない。でも見てみろよ。いつもとまったく変わらないじゃないか。ビッパはのんびりやだから夕方近くまで来ないだろうし、あの木だって……”
まるで自分に言い聞かせるように話していると、目線の先の木がグラグラグラと揺れた。時間を司る者なんて、きっと自分たちの手には負えない。ムックルの兄弟は毛を逆立て、固まった。一寸、なきごえのあげ方すら忘れてしまった。
「やっぱりポケモン、いねーなー!」
木の下には少年が立っていた。木をゆすっていたのだ。日差しを受けた金色の髪はムックルと同じく癖毛だったが、そんなこと兄弟が気づく由もなかった。少年は木を倒すわけでもなく、葉や枝や幹、まだ渋くて食べられないきのみまでまじまじと見つめた。その瞳はまるで金剛石のように、すべての景色をきらきらした特別なものへ変換させている。ムックルの兄弟は息をのんだ。同じ景色を見ているとは思えなかった。いつの間にか恐怖は消え、少年がなんでそんなに楽しそうなのか知りたくなっていた。
少年はせっかちで、その場に座り込んだかと思うと、せわしなく同じ場所を行ったり来たりした。右手で太陽を遮るようにして遥か向こうを見据えるポーズは、ワザを繰り出す構えのようにも見えた。しかし、なにも起こらない。兄弟は少年の一挙一動から目が離せなかった。まばたきする間も惜しいと思った。そうしているうちに、ビッパがのんびりとやって来た。ムックルは“まだお昼なのに、なんで?”と驚いた。けれど、木漏れ日の角度は夕方近くであることを告げている。あっという間に夕方になっていた。“時間を進めるって本当だったんだ”と兄弟は目を見合わせた。
「もう夕方じゃん。なんだってんだよー!」
せっかちな少年はポケモンが見つからず、困ったような声をあげた。先ほど揺らしていた木の下にビッパがいることには気づいていない。またムックルの兄弟も、時間をあっという間に感じたのは、少年と午後を共に過ごしたからだと気づいていない。少年にとってはじめての冒険で、目に映る全てが特別だったのだ。それにつられてムックルの兄弟にとっても、時間を忘れるほど特別な午後になったようだ。ただ、何にも動じないのんびりやのビッパだけが、いつもと変わらない202ばんどうろの風景を眺めていた。