ヨネダ タカシ

入賞履歴

  • 2024年チャンピオンズリーグ2024 愛知 オープンリーグ 優勝

ポケカを始めたきっかけ ポケカを始めたきっかけ

物心つく前からポケカに触れていた
小1ですでにポケカ歴が人生の半分を超える

ポケカを始めたきっかけを教えてください。
兄が始めたタイミングで同時に始めたみたいなのですが、当時僕は3歳だったそうなので記憶がないんですよね。覚えている範囲で言うと、初めて参加した大型大会で準優勝だったとかでしょうか。決勝で負けた相手とは仲良くなってその後も何度か大会で対戦していたり、準決勝の対戦相手とはいまでも交流があったりします。
いきなり準優勝とは流石ですね。
初参加と言っても、僕自身は全然初心者じゃないんですよ。というのも、当時の国内で開催されていた大型大会っていまと違って小学生未満は参加できなかったんです。僕は3歳からポケカをやっていますし、5歳の頃には普通に対戦できたんですけどね。だから初めて参加資格を得た頃にはもうポケカ歴は3年以上ありました。
それは強いわけだ。6歳の時点でもう人生の半分ポケカに捧げてるじゃないですか。
しかも当時からすでに強かった兄と毎日のように練習をしていましたからね。学校の友だちは少し集めているという人がいる程度で、大会で勝つために本気でやっている人はいなかったですし、そんな中で最高の環境が家庭にあるというのは非常に恵まれていたと思います。

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タカシ選手から見る兄と妹

お兄さん(ヨネダタクヤ選手)はどんなプレイヤーですか?
兄は完璧なオールラウンダーですね。かなり小さい頃は兄を超えてやるというような気概があったのですが、もうだいぶ昔から超えられない壁だと認識するようになりました。もし自分が負けたとしても、兄は勝ってくれるだろうという信頼があります。もはや自身の活躍よりも兄の活躍を楽しみにしている気がしてきています。ただ兄のプレイングやデッキ理解度が常人とはかけ離れたところにあるので、練習相手としては逆に適していないと感じることはありますね。普通そのデッキでそんな動きしないだろっていう動きをされて負けるんですけど、それをさらに対策しようとすると構築やプレイングが歪んでしまうというか……。
妹さん(ヨネダレイカ選手)はどんなプレイヤーですか?
妹も僕といっしょで気付いたときにはポケカを始めていたのだと思いますが、かなり負けず嫌いなところがあって勝負事には向いていると思います。昨年、事情があって兄の家で1年間いっしょに生活していたみたいなんですけど、確実にその1年で強くなりましたね。兄といっしょにほぼ毎日ポケカに触れていたと聞いています。

得意なデッキ 得意なデッキ

2005年の世界大会で準優勝した経験から
2進化ポケモンで粘り勝ちを狙うのが得意

得意な戦いかたを教えてください。
序盤は耐えつつ2進化のポケモンをじっくり育てて、中盤から終盤にかけて逆転していくような戦いかたをすることが多い気がしています。2005年の世界大会ではわるいバンギラスとピジョットのデッキを使って準優勝したこともあって、そうした戦いかたを好むようになったのかなと思います。いまの環境で言うと、「悪テラスタル」のリザードンexのデッキが戦いかたとしては近いかなと思います。ナンジャモやツツジで妨害しながらリザードンex1匹だけで相手を倒しきるイメージです。
オープンリーグで優勝された「チャンピオンズリーグ2024 愛知」では、相手の山札をなくすことを狙うデッキを使っていました。じっくり戦うという点では似ているのでしょうか。
うーん、どうでしょうか。この時はたまたま使ったというだけで、ほかに山札をなくすことを狙うデッキを使った記憶はほとんどないですね。世界大会で1回だけ使ったことがありますが。言ってしまうと、僕の使うデッキは基本的に兄が作っているので、どんな戦いかたをするかは兄次第なところが多分にあります。

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絶対に最後まで諦めない姿勢

自身はどんなプレイヤーだと思いますか?
得意な戦いかたとも繋がる話ですが、劣勢でも最後まで諦めずに戦う粘り強さは人よりも優れているのかもしれないなと思っています。というのも、ポケカ四天王決定戦での試合を見ていた友人たちから「もうどうしたって勝てない」と思われるような局面になっても、最後まで勝機を探して粘る姿が「凄かった」と褒めてもらったことがあるんです。
状況としては、手札にエネルギーが5枚くらいあってサポートは1枚もない、いわゆる手札事故が起きていました。自分自身も90%くらい負けるだろうなと思いながらプレイしていましたし、実際その試合は負けたのですが。あなぬけのヒモを使う際に強気な雰囲気を出して相手にプレッシャーをかけることでミスを誘うようなブラフ的なことも駆使して、サポートが引けるまで時間稼ぎをしようとしていました。そんな感じで、いかに細い勝ち筋だとしても最後まで手繰り寄せようとする諦めの悪さを見てもらえたらなと思います。

デッキ作りで大切にしていること デッキ作りで大切にしていること

兄の作るデッキがハイクオリティすぎて
好み以外にカスタマイズの余地がほぼない

デッキ作りで大事にしていることを教えてください。
先ほど話した通り、デッキは基本的に兄が1から作っています。僕はそれをベースに何枚かカスタマイズするくらいですね。
お兄さんが作るデッキは、個々人がカスタマイズすることを前提とした汎用的なものなのでしょうか?
完成度としてはそのまま使って問題ないというか、むしろそうすべきなくらい仕上がったものが渡されます。なのでカードの入れ替えは好みの要素が強くなります。その場合でも、「自分はこの相手をより重要視しているので対策としてこのカードを入れる、増やす」というような意思や理由を明確に示すことが重要です。それがあまりにひどいアイディアだった場合は、なんだかんだ説得されてもとの形に戻ると思います(笑)。と言いつつ、兄と完全に60枚同じデッキを使うことはそう多いわけではないですし、兄とは異なる自分の好みのデッキを選択することもあります。

一番思い出に残っている大会、使用したカード 一番思い出に残っている大会、使用したカード

対戦後にかけられた一言をきっかけに
アメリカ代表選手との友情が芽生えた

いちばん印象に残っている大会は何ですか?
世界大会には初開催の2004年から参加しているのですが、中でもいちばんよく覚えているのは2008年の世界大会ですね。結果としてはTop16で負けてしまったのですが、対戦相手のDylan Lefavour選手がそのまま優勝したんです。Dylan選手とはそれがきっかけで仲良くなって、翌年以降も大会本番ではマッチしなくても夜にフリー対戦をするのがお決まりになりました。そうした海外の選手とのコミュニケーションが取れるようになったことも含めて、思い出深い年だったなと思います。
Dylan選手とはどうしてそこまで仲が深まったのでしょうか。
恥ずかしい話なんですが、Dylan選手との対戦後に悔しすぎて大号泣してしまったんです。その場から動けないほど泣いていたので、大会の運営にも迷惑をかけてしまったと思います……。でもそんな状況で、Dylan選手が僕のところに来て「オリジナリティのあるデッキで、すごく良かったよ」って声をかけてくれて。Dylan選手はつぎの試合もあるのに、わざわざそれを言いに来てくれたことに感動しました。それがあったからここまで仲良くなれたんじゃないかなと思います。

好きなカードとその理由 好きなカードとその理由

世界2位の立役者バンギラスが
ヨーギラスとサナギラスも含めて大好き!

好きなカードを教えてください。
カードがきっかけで、進化前のヨーギラスとサナギラスも含めて大好きになりました。SNSアカウントのアイコンとしても使わせてもらっていますし、ポケモンセンターで売っている全国ずかんメタルチャームもヨーギラス、サナギラス、バンギラスはすべて揃えました。
愛が深いですね! 新弾のカードリストにバンギラスがいると、つい気になってしまうのでは?
そうなんですよ。いつもどうにか使いたいなと思うんですけど、最近はなかなか使ってあげられていないですね。

よく行くジム よく行くジム

ポケカ歴20年以上の大ベテランが
満を持して、「ひとり回し」始めました

よく行くジムはどこですか?
ジムバトルにはなかなか行かないのですが、近年になって自主大会には少しずつ参加するようになってきました。ガルシア杯という大会には比較的よく出ている気がします。あとは地元新潟の店舗でトレーナーズリーグに参加することがあります。
普段はどんな練習をされているんですか?
基本的にはチームの仲間たちと集まって練習することが多いです。昔はいつでも家族で練習ができていたのですが、いまはそれぞれが実家を出てひとりで暮らしているのでそれができなくなったというのはありますね。なので最近は自分でふたつのデッキを用意して、いわゆる「ひとり回し」をやるようになりました。

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意外と少ないきょうだい対決

「チャンピオンズリーグ2024 愛知」の予選で妹と戦ったのが公式戦では初の兄妹対決でした。兄とは2014年の「リザードンメガバトル」の殿堂バトルで日本一をかけた兄弟対決をしたことがあります。あの大会は東日本大会と西日本大会があって、それぞれの優勝者が日本一をかけた決勝戦をする流れになっていました。兄が東日本代表に、僕が西日本代表になったのですが、あのとき初めて公式戦で兄弟対決をしたんです。すでにふたりとも世界大会の参加権を獲得していたので、互いにただただ好きなデッキを使って自由に対戦したのを覚えています。それでも優勝したのはやっぱり兄でしたね。
それだけ長年いっしょにポケカをやってきて、兄弟対決の機会はなかったんですね。
昔は各地方の予選大会は1か所しか参加できなかったので、あえて出場する会場をずらしていたんです。みんなで同じ会場に参加すれば楽なのに、わざわざ3か所にそれぞれ連れて行ってくれた両親には感謝しないといけませんね。